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阿部和重青山真治中原昌也といったシネフィル連中が大盛り上がりをしているジャン・リュック・ゴダール監督の新作映画。「今度はふつうの娯楽映画として見られる」と公式サイトの爆裂対談(青山真治×菊地成孔)で書いてあったので、つい真に受けて見に行ったら、ゴダール映画以外の何物でもなかった。
以下は記録である。1964年生まれ(青山真治と同い年)のわたしがゴダールに興味を持ったのは、峯村敏明という美術評論家が、1970年代半ばの「美術手帖」誌の座談会でさかんにゴダールの名前を口にしていたからであった(のちに知ったが、ゴダールコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた)。1984年、「カルメンという名の女」と「フレディ・ビュアシュへの手紙」をシネヴィヴァン六本木で見た。当時の美大のいち教室でもゴダールの名前は特別であり、「見に行かなくちゃ」という気分に駆られて同窓の一人と一緒に見に行ったのだった。
1985年「美術手帖」誌で、西嶋憲生(映画研究家)が黒沢清の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」を取り上げた。この作品はあからさまにゴダールスタイルで撮られた黒沢清の商業映画デビュー作であった。
ゴダール映画には、自主制作映画の匂いがただよっている。低予算、アンチ・ハリウッド。しかし出来るものは映画以外の何物でもない。それどころか映画の到達点と思わせるような美しささえ感じさせる。いまでもゴダールは、存在しているだけで自主制作映画監督たち(そしてシネフィルたち)を元気づけているといえる。